火焔太鼓 |
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掲示板で話題になったので、写真を掲載します。 これじゃぁ、大八車でも無理ですね。(^_^;) |
「金明竹」の言い立て |
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一般に解説本などでは、「道具七品」は、次のようになっている。 1.祐乗光乗宗乗三作の三所物、刀身は備前長船の則光、 横谷宗眠四分一拵え小柄付きの脇差。 2.のんこう茶碗。 3.黄檗山(おうばくさん)金明竹の自在。 4.遠州宗甫の銘がある寸胴の花活け。 5.風羅坊(芭蕉)正筆の掛物。 6.沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風。 7.織部の香合。 しかし、これに「利休の茶杓」が加わっている速記本もある。 何故こんな事になるのか? それに仕事柄「1」の脇差しには疑問がある。 解説本などでは「『祐乗光乗宗乗〜小柄付きの脇差。』でひとつ。」 と紹介されている。 ここが引っかかる。 「三所物」(目貫 笄 小柄)が、祐乗 光乗 宗乗の三人の作だとしたら、 宗眠の小柄はどこに入るのか? 「三所物」を 柄頭 縁頭 目貫 の3つ と、してある本もあるが、 柄頭と縁頭は同じ物(またはセットで一つ)。 刀の柄の鍔に近い部分のかざりを「縁」、柄の先端(構えた時に 身体に最も近い部分)の部分のかざりを「頭」と呼ぶ。 「柄頭」は「頭」の別名だ。 だから、「三所物」が 柄頭 縁頭 目貫 の3つ だとしたら、 「頭」と「頭」と「縁」と「目貫」になってしまう。 装剣金工の宗家とも言える後藤家三代の名を出しておいて、 ”それはないだろう。”って感じだ。 装剣具は一般に同一(または、同流派)の作者の物を誂える。 百歩譲って、「三所物」が 頭 縁 目貫 で、祐乗 光乗 宗乗の 三人の作だとしても、それに「宗眠の小柄」を着けた「備前長船の 則光の脇差」ではいかにもバランスが悪い。 さらに、「3」と「4」は、同じ竹製の茶道具として、セットと解釈しても 良いのではないか? 遠州宗甫(小堀遠州 政一)は、茶道具の鑑定に優れ、秀でた茶道具には歌銘を つけて「中興名物」(今で言う文化財?)に指定している。 提唱した茶道も利休とは若干異なり、大き目の部屋と「統一美」が特徴だ。 そこで私の考える道具七品は、 1.祐乗光乗宗乗三作の三所物 2.刀身は備前長船の則光、横谷宗眠四分一拵え小柄付きの脇差 3.「のんこう」の茶碗 4.黄檗山金明竹の「自在」と「花活け」(遠州宗甫の歌銘入り) 5.風羅坊(芭蕉)正筆の掛物 6.沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風 7.織部の香合 に、なる。 この中の1と2 を一つに解釈してしまったために、 *「自在」と「花活け」を 分けて二品に数えて、七品。 *「利休の茶杓」を加えて、七品。 と、いう2つのパターンが出来てしまった。 こんな解釈は、どうだろう? まっ、どっちでも良い事だけどね。(^^ゞ 資料画像 |
真景累ヶ淵 |
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根多データベースに「真景累ヶ淵」を登録したので「因縁図」を作ってみました。 |
「唐茄子屋政談」の政談 |
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KANさんが掲示板に書かれていたので、ちょっと調べてみた。 いくつか速記本を見てみたが、政談らしき部分はほとんどない。 ”時の奉行から青ざし五貫文の褒美が出まして...”程度。 解説本では、 「落語手帖」矢野誠一 講談社α文庫 ”講談の「大岡政談」に取材したものだが、政談の部分はない。” 「落語ハンドブック」三遊亭円楽 監修 山本進 編 三省堂 ”講釈の一節をとりいれたのではないかといわれているが、もとの 講釈が何かは不明。また『唐茄子屋政談』という題までありながら、 政談の部分が残っていない” CDの「圓生百席 29」解説に「覚え書」として三遊亭圓生師が残し ている物があるので、やや長めだが引用する。 ”これを『唐茄子屋政談』といいますが、あたくしは政談・・・お調 べのところは聞いたことがない。初めは『・・・政談』とはいわなか ったんですね。大正の末頃からいうようになりました。それまでは、 ただ『唐茄子屋』といっていたのに、なぜそうなったのかといいます と、明治三十八年から震災まで続いた第一次落語研究会で、当時 まだ馬楽だったか小三治だったか、のちの四代目小さんが『唐茄子 屋』を出したんです。 ところが当時『唐茄子屋』と『火事息子』は初代圓右の得意物であっ て、誰も他に演り手がない。第一、小さんは人情噺をやるような人じ ゃないんですから、みんなビックリしましてね、どういうふうにやる んだろう・・・と楽しみにして聞きました。そうしましたら大阪噺の 『みかん屋』のみかんを唐茄子にかえてやったんで、楽屋では「なァ んだ」といって大笑い。みんなを驚かしてやろうという、いたづらだ ったわけです。 その後も四代目小さんは『唐茄子屋』と称して『みかん屋』の改作を やりましたので、紛らわしいため、本来の『唐茄子屋』を『唐茄子屋 政談』というようになったのです。とにかくあたくしは”政談”は聞 いたことがないし、もともとあったものかどうか、あったとしてもご く短いものだったんじゃないでしょうか。 『みかん屋』の改作のほうは、今では『かぼちゃ屋』といっておりま す。 |